種子島南部のロケット発射場がある南種子町には、「南種町郷土館」が有りますが、元鹿児島県立南種子町高等学校跡地に設けられています。
ここが意外な穴場で、歴史やアンティーク好きな方、音楽家の山本直純さんに興味がある方にとっては大変興味深い場所と言えます。
今回は、その南種町郷土館を紹介します。
偉大な音楽家、山本直純さんの資料が南校跡地の南種町郷土館に有る不思議について
旧、鹿児島県立南種子町高等学校について
鹿児島県立南種子町高等学校(地元通称:南高)は、当初は南種子村立の「村立南種子高等学校」として1948年(昭和23年)に発足しましたが、1956年(昭和31年)に鹿児島県立として移管されたようです。
しかし時代の流れで、中種子町にある鹿児島県立中種子高等学校との統合が行われ、アニメ「秒速5センチメートル」で有名な「鹿児島県立種子島中央高等学校」が新設されることとなりました。
2008年(平成20年)4月に、この南高は生徒募集を停止し、2010年(平成22年)3月末に閉校し、南高開校から62年で幕を下ろしたそうです。
最後の3年生は、後輩達もいない、ちょっと寂しい卒業式だったと聞いていますが、その卒業式当時の教室が今も保管されています。
2024年時点で、南種子町で中学生以上の方はこの南高を卒業しており、母校が消えてしまった事は非常に残念だったかと思われますが、校舎は現在も南種町郷土館として今も残っています。
そういう歴史を知ってから、南種町郷土館を訪れるのもまた興味深いかと思います。
南種町郷土館は、Google Mapには登録されていませんが、「トンミー市場」と同じ敷地に有ります。
南種町郷土館を写真で紹介
南種町郷土館は、トンミー市場の向かい側、同じ敷地に有ります。
でっかいガジュマロの木(?)が目印です。
南種町郷土館入口ですが、南種町郷土館だけでなく、南種子町立中央公民館、南種子町埋蔵文化財センターも並立されています。
しかも元校舎裏には、「南種子町立図書館」が有ります。
この図書館、大人が居たのを見たことが有りません。子供たちの勉強場所といった感じです。
ここにある偉大な音楽家 山本直純さん関連の記念音楽堂を紹介
山本直純さん関連の記念音楽堂は、元南高校舎の1階奥に有ります。ここが入口です。
偉大な作曲家・指揮者の山本直純さんの資料がなぜ南種子町に?
偉大な作曲家・指揮者の山本直純さんの資料が南種子町に有るのが不思議ですよね?
まずは、射ま元直純さんの経歴について書いてあります。以下、掲示物の記載内容です。
南種町郷土館 山本直純
代表作品
フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)より
フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) より
おいおい、ウィキペディアからの引用かい!と言うことで、念のためwikiから、ほんの一部引用をしておきます。
東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、小澤征爾、久山恵子、秋山和慶、飯守泰次郎、尾高忠明らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。お前は世界の頂点を目指せ」と山本から告げられたことがあった、と語っている。
出典: ja.wikipedia.org
以下は、南種子町郷土館看板から引用
略歴
(映画音楽 )
殺しの烙印 男はつらいよ ・ どうぶつ宝島・二百三高地
(アニメ)
ゼロテスター・新オバケのQ太郎
(特撮)
マグマ大使・怪奇大作戦・妖精フローレンス
(ドラマ)
勝海舟 風と雲と虹と武田信玄・天下御免 天下堂々
(バラエティ)
巨泉、前武のゲバゲバ90分・8時だよ全員集合・ミュージックフェア
(ワイドショー)
3時のあなた
(ドキュメンタリー)
日立ドキュメンタリー『すばらしい世界旅行』
(ラジオ)
小沢昭一の小沢昭一的こころ・日立ミュージック インハイ フォニック
(CMソング)
ミユキの歌・日本船舶振興会 『火の用心の歌』
森永エールチョコレート『大きいことはいいことだ』
サントリー 『若さだよ、ヤマちゃん』
サッポロビール 『ミューヘン サッポロ ミルウォーキー』
(童謡)
一年生になったら歌えバンバンこぶたぬきつね
だれもしらない・さぁ太陽を呼んでこい・われら(自由民主党党歌)
(クラシック)
和楽器とオーケストラのためのカプチオ・シンフォニック バラード
オーケストラのための天、 地、 人 (共作で、山本は人の部分を担当)
オーケストラのためのレモンストレーション
吹奏楽曲 『白銀の栄光 (札幌冬季五輪入場行進曲)』
合唱組曲『田園 わが愛 (作詞:寺山修司)』
合唱曲 『オーケストラと合唱のための交響曲 「四日市」(1986)』
合唱幻想曲 『友よ 大阪の夜明けを見よう (作詞:藤本義一)』
(ジョーク作品)
交響曲第45番 『宿命』・ピアノ狂騒曲『ヘンペラー』
ヴァイオリン狂騒曲 『迷混』
書籍
オーケストラがやってきた(実業之日本社)
ボクの名曲案内 (実業之日本社)
これだけでは、偉大な作曲家・指揮者の山本直純さんの資料がなぜ南種子町にあるのかわかりません。
答えはこれ、音楽家山本直純さんの資料やピアノ、レコードが南種子町にある訳?
なぜ音楽家山本直純さんが南種子町に?という疑問は、この資料に答えが有ります。
ざっくりと抜粋ですが、理由は以下の通りです。
あの偉大な作曲家で指揮者 「山本直純」氏の資料が、 どうしてここ (南種子町) に!
明治27年、英国船「ドラメルタン号」が座礁し、地域の住民たちが船員たちを救助して数ヶ月間にわたり厚くもてなしたという史実があり、この記念イベントとして、平成10年に「英国祭98 トンミーフェスティバル」が開催されました。
(トンミーは種子島の方言で「友達・親友」 という意味があり、英国との友好交流イベントです。)
山本直純 氏このイベントのテーマソングを山本直純氏に依頼したことが御縁で交流が始まり、楽器・楽譜などの音楽資料からテーブルやソファーなどの家財用具にいたるまで数多くの資料を寄贈して下さいました。
0年11月6日、「咸臨丸」が入港! 8日に歓迎セレモニーがその後、咸臨丸に乗船し、セレモニーが行われました。
このテーマソングの依頼については、祖父が南種子町茎永竹崎出身の島崎保彦氏の尽力により実現したといわれています。
島崎氏は、以前テレビ局に勤務しており、山本直純氏と親交があったそうです。
また、島崎氏の祖父(彦次郎氏)は漁師で、ドラメルタン号が曳航される際、一緒に乗り込んで世界を旅した方でもあります。
そうしたこともあり、島崎氏はこのイベントに全面的に協力して下さいました。
なるほど、そういうことでしたか。
他にも、山本直純さんのレコードのすべてが揃っているなど、音楽隙の方は、南種町郷土館の資料をじっくり見ると楽しいかも知れません。
種子島では貴重だった産婦人科のお医者さん
以前は(今でも?)種子島では貴重だった産婦人科の森越医院の看板が残っています。
現代では考えられないのですが、森越先生は産婦人科・外科・内科を見てくれる先生だったようです。
我が町の赤ひげ先生
当時のお医者さんは、種子島で非常に貴重で有難い存在だったのでしょう。
向井先生を始め、今でも種子島の当時のお医者さん達は「我が町の先生」として資料が残っています。
当時の生活を垣間見れる資料たちが多数
内部の写真だけバンバン紹介します。
こんな船で漁をしていたのですね。
慰安ではダイソーで100円で帰る食器類ですが、当時は貴重な財産だったのでしょう。
家財道具も手作り感満載の品々です。
当時の生活を伺える模型です。
今より立派な建物に感じてしまいます。
当時は、ユニクロとかamazonなんてありませんから、衣類はとても貴重で、雨具も大事な財産だったと思います。
家畜としての牛は、砂糖の生産にも動力源としても貴重だったようです。
昭和初期の頃は、やはり戦争の歴史でもあります。軍服が残されていました。
古い農機具ですが、工夫して作られた歴史を感じます。
一応、動力はモーターの様です。残っているのが奇跡ですね。私に預けてもらえれば、モーターも復活できるかもしれません。
餅などを作るなど、年始年末行事に欠かせない道具です。
全部紹介してしまうと、見に行く価値が減ってしまいますので、ほんの一部だけ紹介して終わりにします。
旧南高の校舎2階には最後の卒業記念品が有ります
旧南高ですから、校舎2階には最後の卒業記念として、教室や机、教室の備品等が今でも残されています。
南種子町の南高卒業生たちは、ここを訪れると、今でも貴重な高校時代という青春のど真ん中の記憶がよみがえってくるのではないでしょうか。
62年の歴史を、これからも残して欲しいものです。
残されている机とか椅子とか、昔の学校風で今でも懐かしいですよね。
種子島の高校生は、通学手段として単車(オートバイ)による通学が認められており、以前はホンダ・スーパーカブが主流でしたが、現在はスクーターも認められているようですが、今はバス通学になってしまい、大分減ったように感じます。
今はもうバイクで通う高校生はすっかり減ってしまいましたが、以下はバイク通勤が盛んな頃の豆知識です。
種子島を題材にしたアニメ「秒速5センチメートル」でも主人公とその彼女がバイク通勤しているさまが描かれていますが、当時はバイク通勤が普通でした。
また、種子島の逸話として、スーパーカブ発売60周年(2018年(平成30年))、本田技研工業がスーパーカブのお得意様である種子島中央高校の卒業生達に対する祝福メッセージを、卒業式の南日本新聞朝刊に全面広告として掲載する粋な計らいをしたそうです。
更に、当時の種子島中央高校の生徒とホンダ、クリープハイプ(ロックバンド)が提携して「ありがとう、種子島。」というミュージックビデオを制作したそうです。
今でも是非見てみたいものですが、資料が見つかりませんでした。
かつて南高は農業科を有していたため、稲穂を模している校章
校章も置いてありました。かつて南高には農業科を有していたため、校章には稲穂を模していたそうです。
さすが、稲作では神話の時代の玉依姫命伝説がある南種子町です。
2階教室の奥の方はには、展示しきれない?資料がどっさり!
更にその先は立ち入り禁止になっていましたので、ここで終わりです。
おそらく、昔の教室が当時のまま残っているかと思います。
南種町郷土館に訪れると、受付御担当者様が親切過ぎた
入口受付で、入場者の簡単な受付(日付・町内・町外・人数など)を記入しますが、『あまり来場者が居ないので、本当にありがとうございます』という感じでした。
また、私の質問には、それはもう滅茶苦茶丁寧に答えていただき、御担当者様には感謝しかありません。
ありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
偉大な音楽家、山本直純さんの資料が南校跡地の南種町郷土館に有る不思議 まとめ
偉大な音楽家、山本直純さんの資料が南校跡地の南種町郷土館に有る不思議について、ご理解いただけたでしょうか。
また、南校跡地の南種町郷土館には、他に興味深い資料が沢山あります。
音楽や歴史に興味がある方は、是非この南種子郷土館を訪れてみてはいかがでしょうか。
最後までご覧いただきありがとうございました。