門倉岬は、種子島の最南端にあり、西側の海岸線を望むと天気の良い日はお隣の屋久島が比較的近くにくっきりと見えます。
天文12年(1543)、鉄砲を伝えたポルトガル人の乗った異国船が漂着したことを伝える鉄砲伝来紀功碑や展望台、船型のモニュメント、御崎神社、幸せの鐘などがあります。
門倉岬は観光客の方々も来ますが、その近くにある「ポルトガル人上陸の地碑」を訪れる方は殆ど居ませんので、今回は門倉岬と
ポルトガル人上陸の地を併せて紹介します。
種子島の南端「門倉岬」に来た観光客が素通りするポルトガル人上陸の地碑
ポルトガル人上陸の地碑とは
ポルトガル人上陸の地碑は、Google mapでは「鐵砲傳来 葡國人上陸之地」碑と書くそうですが、旧字なので、現代文字にしています。
種子島の最南端の門倉岬から約300mほど離れた場所に有ります。
天文12年8月25日(1543年9月23日)に中国の商船がこの付近に漂着した際に、船に乗船していたポルトガル人が持っていた鉄砲を島の島主・種子島時堯に献上されたことから「日本に初めて鉄砲が伝来された」とされています。
※詳細は後述
西之表市の鉄砲祭りは有名ですが、鉄砲を作っていたのは西之表市、鉄砲が初めて日本に上陸したのが、南種子町の門倉岬の近くだったようです。
ポルトガル人上陸の地碑の見どころ
ポルトガル人上陸の地に石碑が建てられていますが、石碑がたった1つあるだけで、石碑のその先はゴツゴツとした岩場ですから、海で遊ぶこともできません。
また、海岸まで下りる階段が急で長いので、体力に不安がある方はいかない方が良いでしょう。
暇な方や興味がある方以外は、ポルトガル人上陸の地碑を訪れるのはあまりお勧めしません。
その代わり、当サイトの管理人Shige-Pがしっかり写真で紹介します。
ポルトガル人上陸の地碑を写真で紹介
南種子町の門倉岬やポルトガル人上陸の地碑に行く場合、この交差点を(写真では)左に曲がります。
門倉岬への目印です。(写真は、登りが標識に絡まっていてちょっと見えにくいです。
門倉岬への目印(道路の向かい側)ですが、ちょっと小さいです。
でもでっかい道路標識が有りますので、おそらくわかるはずです。
門倉岬に向かう途中に、ポルトガル人上陸の地入口が有りますが、ポルトガル人上陸の地碑に向かうには、目印はこの看板です。
ポルトガル人上陸の地碑の駐車場は、ここを曲がって奥に有ります。
写真撮影のため、歩いています。ポルトガル人上陸の地入口付近の道路ですが、先の方は狭いので、車1台がやっとです。
どんどん行きます。ながらめ、たこ、エビについての看板が有ります。密猟はやめましょう。
ポルトガル人上陸の地碑の駐車場が見える頃、道路は途中から舗装されています。
なぜ一部だけ舗装されているか?予算の都合かしら??等の詮索はしないことにします。
ポルトガル人上陸の地入口道路の駐車場ですが、めっちゃ狭いので、敷地のど真ん中に駐車すると他の車の取り回しに支障が出そうです。
とはいえ、ここで誰かに会ったことはないので、利用する方は殆ど居ないように思えますので気にしないでも良いかも知れません。
ポルトガル人上陸の地の石碑は、ここを鋭角にターンして徒歩で行きます。
ポルトガル人上陸の地に向かうためには、急な下り階段が出迎えてくれます。
この急な下り階段ですが、手すりや柵がない部分が多いので慎重に下っていきます。
ポルトガル人上陸の地に向かう急な下り階段をどんどん降りていきます。
なんとも歩幅と合わない階段の寸法に、なぜか変な歩調になってしまいます。
結構長い階段です。帰りが心配になってきました。
ここにもトコブシ採捕禁止の看板が立っています。密猟が後を絶たないのでしょうか?
下り階段はまだまだ続きます。
下り階段の先に海が開けてきました。もうすぐでしょうか??
いやいや、まだまだ続く階段に、私みたいなジジイにはこの衝撃的な急こう配の階段は、「マジか!」という感じです。
ポルトガル人上陸の地の石碑が見えてきましたが、直前は何という急勾配。
流石に手すり(柵)付です。
ポルトガル人上陸の地碑に着きました。
てか、これだけ?目いっぱい苦労してこれだけ?しかも帰りは上り坂?
なぁんて考えたりしないことにしました。
石碑の写真は、文字が少しでも確認できるよう目一杯加工していますが、実物は溶けた石ころの様な感じです。
石碑に刻まれた文字を説明する看板です。
石碑の文字は、風化が激しく、現在では読めない状態ですが、この看板は良い仕事をしています。
詳細に当時の様子が伝えられており、非常に興味を引きます。
せっかくですから、OCRで文字起こししてみます。以下看板の内容です。
石碑に刻まれた文
鐵砲傳来葡国人上陸之地天文十二年八月二十五日に、南蛮船がこの地に漂着、船員が上陸して鉄砲を伝えた。
このことが我が国に鉄砲が伝来した最初の出来事である。
この出来事の発端は、その時の地頭である西村織部丞時貫と村松七郎朝光、そして、御側用人の徳永大八祐家らが、その南蛮船におもむこうとした時に、船より鉄砲が放たれたことにある。
その音は雷のようであった。
西村織部丞らは、大いに驚いて、次の手紙を書いて渡した。
「あなた達は、風波によって、漂流してこの地にたどり着いたのか。
それとも、海で略奪をする者たちか。
今、あなた達は、船に兵をのせ、武器を使用した。
それは、攻め込んで害をなす者達 (冠賊) と同じ行為である。
もし冠賊であるというならば、私たちは兵をもって、討伐するだけである。 返答を待つ。」
南蛮船からの返書には次のように書いてあった。
「私たちは、冠賊ではない。 商人である。
求められた商品を積み、さきの日に、 とある港を出発し、目的地に向かう途上に台風にあい、漂流し、困り果てていた。
たまたま、この地に漂着し、災厄を免れることができた。
私たちが冠賊としてきたわけではない証として、火砲(鉄砲)をあなたの国の主に献上したい。」
三人は喜び、鉄砲を赤尾木に届け領主である種子島時堯公に献上した。
時堯公も大いに喜んで、鉄砲を受け取った。
そして、 八板金兵衛にその製造方法を伝授させた。
これが、日本における初めての鉄砲製造である。
このことによって、武器の威力が増大し、日本の軍制に大きな変革をもたらすことになった。
よってこの史跡を不朽に後世に伝えるため、ここにこの碑を建設する。
昭和九年十二月十五日
熊毛支庁長 正七位勲六等 徳田 富美撰
西村織部丞裔 西村 時教
書建設者 南種子村西之区民同青年团石工 永井 仁之助
On August 25th, 1543 a foreign vessel drifted ashore at Maenohama Beach inMinamitane Town.
This shipwreck lead to the first introduction of firearms to Japan.
The arrival was greeted by three men: local land stewards Oribenozyou Tokitsura Nishimura and Shichiro Asamitsu Muramatsu,accompanied by retainer Daihachi Sukeie Tokunaga.
When they first tried to approach the ship, they came under rifle fire. The shot rang out like thunder, surprising the local men.
A letter was written to the ship's crew, "Have you been shipwrecked on our shores,or are you sea robbers?
The troops aboard your ship have discharged weapons at us.
Your conduct is that of invaders. If you are pirates, our forces will subdue you.
We await your response.
The crew replied, "We are not pirates, we are traders. Our trading vessel became caught in a typhoon and set adrift.
We have only just reached shore.
We offer firearms to your leader as a token of trust that we are not pirates."
The three local men rejoiced and brought the firearms to Tokitaka Tanegashima,the young lord of the island. Lord Tanegashima was pleased, and ordered local swordsmith Kinbei Yaita to produce similar firearms.
Thus, firearms were manufactured in Japan for the first time, revolutionizing the Japanese armed forces.
This monument was built to commemorate these events. learns were.anese annea (以下略)
石碑についても、下り階段は海に向かって更に続いています。
ここまで来たら行ってみましょう。
この最後の階段も、結構な急勾配です。
手すりがない急勾配の階段ですので、コケないように慎重に下りていきます。
大きな石がゴロゴロしている海岸に到着しました。
いやはや、砂浜でもないし、これではシーグラスも無さそうな感じです。しかもゴミが一杯。
これでは釣りもできないでしょう。海で遊ぶ余地がない気がします。
降りてきた階段を振り返ってみました。「はぁ、この階段を上るのかぁ」
もはや絶望状態です。
古いとはいえ、後ろから見るとつるっとして、まるで溶けちゃってる感じの石碑です。
爺にとってはキツ過ぎる帰路、下りの10倍は疲れる感じの帰り道、種子島ではどこにでも咲いているヒルガオが私を癒してくれます。
このポルトガル人上陸の地の石碑は、あまりお勧めしていない理由がお判りでしょうか。
若い方なら大した会談ではないかと思いますが、興味のある方は行ってみてはいかがでしょうか。
いざ、門倉岬に
ポルトガル人上陸の地の石碑の行程で疲れ果てた体に鞭打って、いよいよ門倉岬に向かいます。
まず広い駐車場が迎えてくれます。
門倉岬の駐車場は、観光バスも停めることが出来る広さがあり、公衆トイレ、自販機も設置されています。
以前は売店も有りましたが、現在は閉鎖されているようです。
門倉岬の駐車場に設置されている看板には、鉄砲伝来の地をPRしています。
南種子町観光案内看板も門倉岬駐車場に設置してあります。
門倉岬入口は、御崎神社が敷地にあるためか、神社同様に入り口に鳥居が有り、火縄銃を抱えた銅像が有ります。
鳥居を抜けたところの風景です。右はメンテナンスコリドゥ(保全作業者が軽トラで走る道)です。
門倉岬を少し歩いた所ですが、船の形をした観望台が見えます。
おそらく、鉄砲伝来時の難破船をデザインしたのかと思います。
門倉岬の石碑群です。新しいものも有りますが、文字が読めない位古い石碑も有ります。
なにこれ?っていう不思議な石碑も有ります。
門倉岬の観望台は船のデザインになっています。
実は、私が深夜に流星群など星の写真をここで撮る撮ることも多々あるのです。
深夜はここには誰も来ませんので、良い条件で安心して星空の撮影が出来るからです。
門倉岬の船の観望台からの眺めです。向こうに屋久島が見えます。
(当日は曇りでしたので、ちょっとボヤーとしてます)
船をデザインした観望台の一番高い所から、入口の方向を撮影してみました。
さあ、種子島の最南端に向かってみましょう。海が見えます。
門倉岬の崖の上から見た海岸の様子は圧巻です。遠くに種子島宇宙センターのロケット発射地点が見えます。
種子島最南端にある、門倉岬名物の幸せの鐘です。
女性同士の観光客は、きまってこの鐘を鳴らすイメージが有ります。
この日も写真の出来高が欲しくて、30分程度現場で粘って待ってましたが、結局誰も来ませんでした。
結果、幸せの鐘だけの写真になっています。
幸せの鐘からすぐのところに門倉岬の御崎神社が見えてきます。(神社をくまなく探しましたが正式名称は不明でした)
門倉岬の御崎神社です。賽銭箱が有りましたので、いつものようにありったけの5円玉を奉納します。
(これ、マイルールなのです)
この日、小銭入れの5円玉を探しましたが、なんと、たったの1枚しか持っていませんでした。
(毎回せこいお参りですいません)
門倉岬の柵ですが、場所がだいぶ手前になっていました。おそらく崖の崩落により、安全柵の一部が崩落し、設置位置をずらしたと思われます。
以前は、崖っぷちギリギリまで行けましたが、現在は数メートル手前までしか行けません。
※種子島の崖は、「崩落の危険」が有りますので、絶対に安全柵より先には行かないでください。
種子島は基本、砂岩質の島ですので、各所で崩落事故が起きています。
種子島の最南端部を見た後は、駐車場まで戻ります。
門倉岬の裏道です。
おそらく「メンテナンスコリドゥ」と言って、保全業者さん達が軽トラで走る道かと思われますが、もちろん一般の方の通行も問題なく可能です。
亜熱帯に属する種子島の裏道は、裏道は南国ならではの木々が迎えてくれます。
駐車場に帰るとき、謎の横道が有ります。普通は横道まで行かないのですが、ちょっとだけ行き先を紹介しましょう
門倉岬駐車場横の道を進んで、十字路を左に曲がると、種子島では数多ある、フィッシングスポットに着きます。
種子島のフィッシングスポットは堤防が多いのです。
釣場である堤防に着くと、数人が釣りを楽しんでいました。(写真では小さくて見えないかも知れません)
門倉岬周辺では、銭亀遺跡出土品などが出土しており、好きな方は探索されると良いでしょう。
また、この辺りは、種子島と屋久島が非常に近いポイントでもありますし、西向きですので絶好の夕日撮影場所です。
この辺りをくまなく散策すれば絶好の夕日撮影ポイントが見つかるかも知れません。
写真の道路先には屋久島が見えますので、屋久島と夕日が撮影できます。
ただ、種子島での夕日撮影では、「虫よけスプレー」が必須です。
種子島の南端「門倉岬」に来た観光客が素通りするポルトガル人上陸の地碑 まとめ
種子島の南端「門倉岬」に来た観光客が素通りするポルトガル人上陸の地碑について記事にしましたが、ついでに門倉岬も紹介も含めたら、かなりのボリュームになってしまいました。
種子島の最南端である門倉岬に訪れた際は、周辺も散策されると種子島を楽しむことが出来ると思います。
ここまで見ていただいた方はまずいないと思いますが、最後までご覧いただきありがとうございました。