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種子島の伝統や文化

種子島の夏の一大イベント鉄砲祭りを紹介

種子島の夏の一大イベント鉄砲祭りを紹介
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種子島の歴史上の大イベントが「鉄砲伝来」です。

天文12年(1543)に日本で最初に鉄砲が伝来したのを記念して、毎年開催される種子島最大規模であり、長い歴史が有る祭りなのです。

この種子島の鉄砲祭りは、内容が盛りだくさんですので、夜の花火や、女の子だけで叩く鉄砲太鼓の記事は別に分けましたが、繁華街のパレード様子などを記事にしています。

歴史ある種子島の鉄砲祭りについて、写真多めで紹介していますので、是非最後までご覧ください。

種子島の夏の一大イベント鉄砲祭りを紹介、歴史ある大きな行事

種子島の北部、西之表市で行われる鉄砲祭りについて紹介します。

内閣府の「国境の島に行こう」というプロジェクトが有って、種子島の事が詳しく紹介されていますが、種子島鉄砲祭りについても記載がありますので引用します。

【開催期間】例年8月下旬の日曜(令和5年は8月20日)

天文12年(1543)に日本で最初に鉄砲が伝来したのを記念して、毎年開催される種子島最大規模の祭りです。火縄銃の轟音で始まり、市中を練り歩く太鼓山や子どもみこし、鉄砲伝来に縁のあるポルトガル人に扮した南蛮パレードなど種子島ならではのイベントが盛りだくさんです。なかでも種子島火縄銃保存会、友好都市である大阪府堺市の堺火縄銃保存会、滋賀県長浜市の国友鉄砲研究会の3団体による、豪快な火縄銃の試射は迫力満点。祭りのフィナーレは数8000発の打上げ花火と海中花火が夏の夜空を彩ります。

※祭り・イベントは中止や延期、縮小による開催内容の変更などが生じる場合があります。おでかけの際は、各自治体や観光協会等へ最新情報をお問合せください。

出典: kokkyo-info.go.jp

内閣府の鉄砲祭りのページは写真が1枚しか有りませんので、当サイトでは多めに写真を紹介します。

歴史ある鉄砲祭りの概要

種子島で行われる鉄砲祭りは、種子島の鉄砲文化や歴史を伝承し、鉄砲隊の技術を称える祭りです。鉄砲は、種子島藩の家臣たちによって開発されたとされており、その歴史は400年以上にも遡ります

種子島の鉄砲は、精密な鋳造技術によって作られ、その威力や命中精度が高いことで有名です。

鉄砲祭りは、種子島の各地区から集められた鉄砲隊によるパレードや演技が中心となっています。

鉄砲隊は、各地区ごとに異なる衣装を身にまとい、鉄砲を携えてパレードを行います。鉄砲を発射すると、その音と煙が立ちこめ、迫力ある演技が見られます。

また、鉄砲の装飾や飾り台車なども見どころのひとつです。

鉄砲祭りの期間中は、地元の食べ物やお土産の販売が行われます。

種子島は、いんぎー鳥、ウナギ、シイタケ、伊勢エビ、アサヒガニ、ダクマ(手長エビ)、ニガタケ(たけのこの細いやつで天ぷらが絶品)、タンカンやポンカンなどの柑橘類やその加工品、そして地元の海で取れる豊富なクロダイやきびなごなどの魚やイカ、熊の手(磯で取れる貝)、ナガラメ(「とこぶし」の事を地元ではそう呼びます)、貴重な浜ゼリ(天ぷらがお勧め)やミニバナナなど、内地では食べることが難しい美味しい食べ物がたくさんあり、鉄砲祭りの期間中はそれらを楽しむことができます。

(これらの地元産の名品は季節によって違いますので、いつでも有るわけでは有りません)

また、地元の伝統工芸品や民芸品も販売されており、お土産にぴったりです。

鉄砲祭りには、多くの観光客が訪れます。種子島の美しい自然や海、歴史的な建造物なども見どころのひとつですので、鉄砲祭りを楽しんだ後は、種子島の観光スポットを巡るのもおすすめです。

この鉄砲祭りとは、例年8月下旬の日曜に行われますが、近年は感染予防などでスケジュールが変更になる可能性も有るため、西之表市のHPなどで開催日程を確認してください。

多くの方が訪れる種子島でも屈指のお祭り

この祭りは、種子島に伝わる鉄砲の技術を守り伝えるために行われ、種子島で作られた伝統的な鉄砲を使ったパレードや演技などが行われます。

また、種子島の歴史や文化を紹介する催しなどもあり、多くの観光客が訪れます。

祭りのハイライトは、鉄砲隊による迫力ある演技です。鉄砲の音や煙が立ちこめるなか、鉄砲隊が躍動的に動く姿は圧巻で、見物客からも大きな歓声が上がります。

また、祭りの期間中は地元の料理やお土産なども楽しむなど、種子島を満喫することができます。

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このお祭りを写真に収めるのは、カメラマン一人では難しい

私もカメラマンとしてお祭りに行きますが、繁華街中心のパレードや八坂神社、漁港など、パレードの範囲がとても広くて、たくさんのチームが参加してきます。

鉄砲祭りだけは、とにかく盛り沢山の行事があり、撮影に必死です。

更に夜の部は少し離れた高速船乗り場付近の公園でのステージや締めの花火が有りますが、ここまで写真撮影をする場合は、かなりの体力と予備電池、メモリーが必要になります。

鉄砲祭り昼の部の紹介

既に別記事で、鉄砲祭りの鉄砲太鼓ぶっ飛び女子高生を紹介していますが、鉄砲祭りは内容が多いので、今回は昼の部とさせていただきます。

鉄砲祭りのパレード

私は南種子町に住んでいましたので、鉄砲祭りはイマイチ理解していませんので、詳細な説明が出来ないのですがご理解いただきたくお願いします。

地元企業さん達や学校関係者のパレード

ぶっとび女子高生で紹介した種子島高校も作歌しています。

バスケット部やバレー部も参加しています。カメラマン混乱しています。

種子島中学校野球部ですね。離島甲子園、写真が出てきたら記事にしたいものです。

鉄砲祭りのパレード9

鉄砲祭りのパレード9

槍持ち、毛槍持ちっていうプラカードに感謝です。

地元種子島火縄銃保存会の方々、祭りの主役です。

友好都市である大阪府堺市の堺火縄銃保存会の方々、遠路はるばる応援ありがとうございます。

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友好都市である大阪府堺市の境観光コンシェルジュの美人さん達

カメラマンの取り巻きが多い山車が来ました。

遠路種子島まで来ていただきありがとうございます。

堺コンシェルジュの後ろには、フレッシュ種子島の二人も乗っていました。

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小学生の鼓笛隊(表現が昭和)

鉄砲祭りのパレード20

鉄砲祭りのパレード20

種子島の鉄砲について

種子島の鉄砲は、江戸時代初期の1604年頃に種子島藩の家臣であった近藤重信によって開発されたとされています。

当時、種子島では鉄製品が盛んに生産されており、それを利用して鉄砲を製造することが考えられました。そのため、鉄砲は種子島の島民によって開発されたもので、種子島特有の精密な鋳造技術によって作られました。

種子島の鉄砲は、鉄砲製造の過程において、高温で溶かした鉄を銅や銀とともに練り込むという特殊な技術が使われており、そのため鉄砲の鋳造精度が非常に高く、命中精度や威力も抜群であったと言われています。また、鉄砲製造の技術は、種子島藩士や島民によって代々伝承され、種子島藩の主力産業の一つとして栄えました。

鉄砲は、当時の戦闘において重要な武器であり、種子島藩はその優れた鉄砲技術を活かして多くの戦役に参加し、戦功をあげました。特に、関ヶ原の戦いにおいて、種子島藩主の島津義弘は豊臣秀吉に従って参戦し、種子島鉄砲隊が活躍しました。

現在では、種子島の鉄砲は戦闘用としてではなく、伝統芸能や祭りなどで披露されることが多くなりました。しかし、その高い鋳造技術や命中精度は今もなお評価され、日本の伝統工芸品のひとつとして、多くの人々に愛されています。

鉄砲完成のためにポルトガル人と結婚した種子島の若狭姫について

火縄銃を語るうえで知っておいて欲しい事、それは若狭姫という女性の物語が有ることをご存じでしょうか。

若狭姫(わかさひめ)は、室町時代に若狭国の国人であった朽木氏の娘で、種子島の鉄砲を完成させるためにポルトガル人と結婚した(させられた)とされる人物です。

彼女の名前は史料によって異なり、別名を持っていた可能性もありますが、一般的には若狭姫と呼ばれています。

当時、鉄砲の製造技術を持つポルトガル人が日本に来航し、鉄砲の作り方を伝えたとされています。

しかし、ポルトガル人が伝えた技術だけでは、種子島の気候や材料の違いなどから、鉄砲の製造がうまくいかなかったとされています。

そこで、朽木氏の当主であった若狭姫がポルトガル人と結婚し、鉄砲製造に必要な技術や材料を取り入れたという説があります。

この説については、史料が乏しく、確証はないとされていますが、種子島の鉄砲が高い鋳造技術や命中精度を持っていたことは事実であり、若狭姫が鉄砲製造に対して何らかの貢献をした可能性はあるとされています。

また、若狭姫の物語は、戦国時代の武将・島津義弘が自らの家臣団を率いてポルトガル人と戦い、若狭姫とポルトガル人を救出するという伝説に結びつけられています。

この伝説も、史実とは異なる部分があるとされていますが、種子島の鉄砲の歴史において、若狭姫は重要な役割を果たした人物の一人として語り継がれています。

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鉄砲祭りパレード後半

種子島の鉄砲祭りには、鉄砲隊のパレードだけでなく、着物を着た女性たちが乗る山車によるパレードもあります。このパレードは、地元の女性たちが参加し、太鼓や三味線を演奏しながら、地元の伝統的な着物で山車に乗って種子島の町を練り歩くものです。

この山車は、車体の周りに飾り付けが施されており、美しく装飾された姿が見どころのひとつです。また、山車の上には、太鼓や三味線を演奏する女性たちが乗り、車体が揺れるなかで熱狂的な演奏を披露します。

このパレードは、種子島鉄砲隊祭りと同じ日に行われるため、鉄砲祭りの見どころのひとつとして観光客からも人気があります。

着物姿の女性たちが山車に乗り、太鼓や三味線の音色が響き渡る様子は、迫力ある鉄砲隊のパレードとはまた違った趣があり、種子島の伝統文化を感じることができます。

写真多めで行きます。

白バイも待機しています。お祭りの日は人が多く大変そうです。

かぶりつくように写真を撮るカメラマンに苦笑?

山車の中で配置を変えてます。

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種子島の八坂神社への奉納について

種子島の西之表市にある八坂神社は、種子島の中でも特に古くからある神社の1つで、約1200年以上の歴史を持っています。

八坂神社は、主に学問の神様として知られる菅原道真公を祀っており、そのため学問の神様として信仰されることが多いです。また、神社内には、天照大神、素戔嗚尊、大己貴命、少彦名命などの神々も祀られています。

境内には、神社の創建時から残るとされる神木の大楠の木や、国の重要文化財に指定された本殿や拝殿など、歴史的な建造物が多数あります。また、境内には、「巨石門」と呼ばれる巨大な石門もあり、その迫力ある姿が見物です。

毎年、1月3日には「祈年祭」が行われ、多くの参拝客が訪れます。また、毎年5月には「八坂祭」が行われ、神輿渡御やお神楽などが行われる祭りとして知られています。

八坂神社は、種子島の中でも有名な神社の1つであり、その歴史や文化財、祭りなどが多くの人々に愛されています。

種子島のご神幸行列について

鉄砲祭りは、神社の神輿や地元の人々が鉄砲を撃ちながら行進する「鉄砲祭りのご神幸行列」が有名です。

この行列は、鎮守の森公園の八幡宮から出発し、種子島市内を練り歩くもので、神輿や御旗などを担ぐ神職や地元の若者たちが、鉄砲を担ぎながら行進します。

この行列には、地元の町内や企業、学校などから集まった人々が参加し、総勢数千人にもなります。

以前の鉄砲祭りのご神幸行列では、鉄砲を撃つ音が響き渡り、迫力ある光景を見ることができましたが、今は行れるだけです。

また、種子島の伝統衣装である「対馬打ち」と呼ばれる白い衣装を着た人々が、行列を先導する姿も見ることができます。

鉄砲祭りのご神幸行列は、種子島の文化や伝統を象徴する祭りの1つであり、多くの人々から愛されています。

種子島の伝統衣装である「対馬打ち」と呼ばれる白い衣装

八坂神社での様子

種子島の夏の一大イベント鉄砲祭りを紹介のまとめ

実は、漁港の方でも行事が有る様子(海から神輿を引き上げる?)でしたが、私一人ではとても撮影は無理でしたが、出来るだけ紹介してみました。

歴史の有る種子島の祭りですから、色々な逸話も有りで、興味が有る方は調べてみると面白いと思います。

種子島の神話に近い、南種子町の玉依姫伝説もおすすめです。

ここまで見ていただきありがとうございました。

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